「いままで読んだマンガのうち一番は何か?」と聞かれたら『天は赤い河のほとり』と答える私は、連載が終わってかなりの時間が経過したいまも作品の舞台となった「 ヒッタイト 」の情報に敏感です。
日本の調査隊が ヒッタイト 王国時代の粘土板を発掘
先日、日本の調査隊がトルコの古代遺跡から「ヒッタイト王国のものと見られる粘度板」をほぼ完全な状態で発掘したそうです。
日本の調査隊:中近東文化センター附属アナトリア考古学研究所の研究員が率いる調査隊
「ヒッタイト王国」「粘土板」のセットに鼻血がでそうなほどに興奮しました(解らない人はぜひマンガを読んでください)。
粘土板に刻まれていた ヒッタイト 以外の言語の意味
トルコ中部にあるビュクリュカレ遺跡はトルコ最長クズルウルマック河を渡河する所に位置し、古代から現代にいたるまで交通の要衝です。
そのビュクリュカレ遺跡から出土した粘土板は今からおよそ3300年前(紀元前14世紀ごろ)のヒッタイト王国時代のものと考えられています。
70行にわたって刻まれていた粘土板にはヒッタイト語のほかにフリ語も刻まれていたそうです。
フリ語は国家的な宗教儀礼で使われていたとされる言語で、ヒッタイトの東側にあったキズワトナなど複数の国々で使われており、ヒッタイトの国王は政略結婚でキズワトナから妻に迎えていたとされているそうです。
そのフリ語が刻まれたものはヒッタイト王国の首都ハットューシャなどの重要な都市でしか見つかっていないため、発掘した研究者は「ビュクリュカレ遺跡がヒッタイト王国の重要な都市だった」ことを示唆するものだと考えているとか。
ビュクリュカレ遺跡はトルコの首都アンカラの南東約65km、アンカラからカマンに向かう道がトルコ最長のクズルウルマック河を渡河する所に位置しています。そこは現在と同様昔から交通の要衝だったと考えられます。
遺跡にあった都市が ヒッタイト にとって何だったのかを推測
今回出土した粘土板にはヒッタイト語で「首都ハットゥーシャを含む四都市が災いにあっている」という内容が記されており、フリ語では隣国の王の名前のほかに最高神テショブに祈りを捧げる内容が刻まれていたそうです。
これに刻まれた隣国の王とは、ヒッタイト王国の西にあって対立していたアルザワの王だとか。
この粘土板が刻まれた時代はヒッタイト王国が弱体化していた時期。
当時アルザワの女性とエジプトのファラオが政略結婚しようとしていたことがエジプトの外交文書から分かっているため、この遺跡にあった都市は敵から攻撃をされていたのではないかと推察。
では、この遺跡にあった都市はヒッタイト王国にとってどんな都市だったのか。
フリ語を話す東隣の諸国の宗教を積極的に取り込んでいたのがヒッタイト王家に限られていたということから、粘土板が出土した遺跡にあった都市とヒッタイト王家との間には強い結びつきがあったとも考えられるそうです。
【結論】ビュクリュカレ遺跡は ヒッタイト の歴史を知るうえで重要な遺跡(と考えられる)
ヒッタイト王国は紀元前3700年に興り、世界史上で初めて鉄器を普及させて紀元前3400年頃に最盛期を迎えてオリエント一の大国になった国。
しかしその栄華は短く、約200年後の紀元前3200年前に歴史からこつぜんと姿を消したミステリアスな王国です。
だからこそ題材になったのでしょうが、王国が始まって終わるまでの約500年間に何があったのかは好奇心をくすぐられるテーマ。
それを知る上で今回出土した粘土板のほか、この遺跡で今後発掘されるものはとても重要と考えられるそうです。
参考
- 中近東文化センター附属アナトリア考古学研究所(JIAA|Japanese Institute of Anatolian Archaeology) (jiaa-kaman.org)
- ※https化されていませんが公的機関の公式サイトです(https化の重要性については「SSLサーバ証明書 とは?ブログのURLは「https」ではじまらないといけない?」で説明しています)
- ヒッタイト王国の粘土板か 日本調査隊 トルコ古代遺跡から発掘 | NHK | トルコ
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