燕三条 で作られたキッチン用品は私の憧れ。 燕三条 が「金物の街」といわれる理由

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 新潟県 燕三条 で作られたステンレス製キッチン用品は、スタイリッシュでカビの心配ないなど清潔感があるので”憧れ”です。

 子どもの給食セットや旦那の弁当セットは毎日使用するため、家の食器と別のカゴで乾燥させることで毎朝使いやすく、さらに忘れ物を予防する効果もあります。

 夜間のみのテンポラリーで使用する水切りカゴを探していて見つけたのが「すっきり暮らす 水切りカゴ(浅型)/Amazon」。

 料理のときはザルとしても使えるし、家族四人そろって食事をすることがなくなったらメインの水切りカゴにしようと思っています。

 いいものは購入費用がかかりますが、長くもつので「結果的に安上がり」ということも多いです。

 新潟県の燕三条にある「ビーワーススタイル」の製品シリーズで品質は折り紙付き(Amazon内の「ビーワーススタイル」ストア)。

 オールステンレス製なのでヌメリなどなく清潔です(食洗器で洗うことも可能)。スッキリとした見た目でも足つきなので、食器が直接下に触れない仕様になっています。

 ビーワーススタイルの水切りカゴは、サイズや形状の違いにより価格は約2,500円~約6,000円。いま一番人気のスクエア型は約5,000円です/Amazon

 素材や形状に拘らなければ水切りカゴは100均でも売っているし、同じようなステンレス製でももっと安いものはありますが、高くても「ビーワーススタイル」の水切リカゴが人気なのは「燕三条」というブランド力です。

 私も「燕三条の金物製品なら品質に問題なし」と思っています。

 今回はこれをきっかけに、なぜ新潟県の 燕三条 が「金物の街」として有名になったのかを調べてみました。

燕三条 ものづくりを始めるキッカケ

 燕三条 のものづくりの始まりは江戸時代初期(17世紀くらい)。

 信濃川の氾濫に苦しむ農民が「農業に頼りっぱなしではいけない」と、副業として和釘を作り始めたのがきっかけだそうです。

燕三条 の農民はなぜ和釘を作ったのか

 江戸時代の都となった江戸は急激な人口増加で家屋が密集したことで火災が多発したことで家屋の再建が多く、和釘づくりが農民の副業として奨励されるほど和釘の需要が高かったからです。

 手で一本ずつ鍛造する和釘は非常に頑丈で、千年以上もつともいわれているそうです。

 和釘といわれてもピンときませんでしたが、燕三条にあるアウトドアメーカー「スノーピーク」のペグはステンレスの鍛造ペグで頑丈さがセールスポイントです(Amazon内の「スノーピーク」ストア)。

 歴史が形を変えてこんなところにと勝手に思っています。

 江戸時代に話を戻して、火事による建物の再建で和釘のほかにも、カンナ・ノミ・のこぎりなどの需要も高くなり、燕三条のものづくりは発展していったといわれているそうです。

※鉋(かんな):木材の表面を削って加工する大工道具のひとつ、

鑿(のみ):木材や石材に穴を穿ったり、彫刻したりするのに使う切削加工用の工具

燕三条 は鍛冶業が盛んになる条件がそろっていた

 金物産業(鍛冶業)が盛んになるには「資源」が重要になりますが、燕三条周辺には鉱物資源が豊富にあり、広大な山林から燃料となる炭が手に入りやすかったそうです。

 産業が拡大すれば専業の職人も育ち、江戸中期に仙台の渡り職人が、金鎚で叩いて成型する工芸「鎚起銅器ついきどうき」の技を燕に伝承したことで多様な金物がつくられるようになりました。

 銅板一枚を叩いて成形していく「鎚起銅器ついきどうき」の技でいまも製品を作り出しているのが燕三条の玉川堂。

 2018年のジャパン・ハウス ロンドンでは、公式訪問した英国王室のウィリアム王子玉川堂による鎚起銅器製作の体験ワークショップに参加していったそうです

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