東京には 平将門 の首塚(将門塚)がある。
そこは東京の超一等地、大手町のど真ん中。
そこに1000年以上前の武将を祀る塚が残っており、三菱地所、三井物産、丸紅、三井住友銀行など周辺企業も保存会に関わっている。
「将門塚」がXで話題になっている理由
X(旧Twitter)では、将門塚での迷惑系配信者による不敬行為と、それに続く天変地異や事故を「将門の祟り」と結びつけているため。
2026年8月19日、ライブ配信サイトの男性配信者が首塚にある石碑によじ登って抱きつき、奇声を発したり、局部を露出したりする様子を生配信した。
この配信は「罰当たりすぎる」とSNSで大炎上し、管理団体「史蹟将門塚保存会」は警察に相談(礼拝所不敬罪や建造物侵入罪に抵触する可能性あり)。
- 礼拝所不敬罪:6カ月以下の懲役もしくは禁錮、または10万円以下の罰金
- 建造物侵入罪:3年以下の懲役、または10万円以下の罰金
- 公然わいせつ罪:6カ月以下の懲役もしくは30万円以下の罰金、または拘留もしくは科料
配信翌日から、東京都心や千葉県など関東地方でゲリラ豪雨や非常に激しい雷雨が続いた。
その後、平将門に所縁の深い茨城県南部を震源とする大規模な地震(最大震度5強)が発生した。
偶然重なったこれら自然現象を、SNSユーザーが「平将門の祟り」と結びつけたことで、オカルト的な推測が飛び交っているとのこと。
平将門とは?
平将門は平安時代の武将。
欧州ではヴァイキングがまだ暴れていた時代、中国は戦国状態で王朝がコロコロ変わっていた時代に日本で起きていたこと。
平将門は東国の国府を次々と攻略し、自ら「新皇」を称した。
朝廷から見れば明確な反乱であり、将門を討つ動きが始まった。
軍が派遣され、平将門は現在の茨城県・千葉県北部あたりで戦死した。
首は京都に送られて“晒し首”にされたことまでは史実。
将門の首が京都から東へ飛び、現在の大手町付近へ落ちた――という伝説が後世に残った。
現在の将門塚は、その将門の首を祀る場所として伝えられている。
平将門が「怨霊」と言われる理由
関東に首が飛んだという伝説が残る平将門は「日本三大怨霊」の一人。
- 平将門の死後、関東では自然災害などが続いた
- 当時の人々は「将門の祟りではないか」と恐れた
- 京都で晒された将門の首が腐らなかったという噂
- 何日経っても腐らない
- 目を開けて睨み続けた
- 夜になると歯を鳴らした
- 「東へ帰る!」と叫んだ
- 将門の首塚(将門塚)で起きた不可解な事故が「祟り」と恐れられた
- 戦後、米軍のモータープール建設に伴う整地作業中、将門塚付近でブルドーザーが横転し、運転手が死亡したと将門塚保存会の記録に残されている。この事故も後世、「将門の祟り」を語るエピソードの一つになった。
このような理由から平将門は怨霊として知られ、平将門の首塚(将門塚)は現代まで続く「触れてはいけない場所」になった。
平将門には「守り神」という一面もある
平安時代、政治の中心は京都で、関東は辺境扱いを受けていた。
中央からの支配も強く、そんな中で平将門は荘園領主の横暴に立ち向かった。
地域のために戦い、地元の人を守ったことから怨霊となった平将門を丁重に供養し、神田明神では現在も江戸・東京を守る神として平将門命を祀っている。
また、平将門の娘とされる伝説の人物「滝夜叉姫」も、平将門とセットで人気が高い。
父の仇を討つため呪術を学び、巨大な鬼「夜叉丸」と蜘蛛「蜘蛛丸」を連れて反乱を起こそうとした滝夜叉姫。戦いの際に怨みを集めて召還した巨大な骸骨「がしゃどくろ」は歌川国芳の絵で有名。


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